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「幼児教育の経済学」を読んで。幼少期の教育が株式以上のリターンを生みだす。

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子どもの教育のために「〇〇の経済学」って本を読むといいよと人にすすめられた。調べてみると「幼児教育の経済学」「学力の経済学」という本がある。どっちだ?!

 

というわけで、両方買ってしまった。そんな子育て初心者である僕が、それぞれを読んだ感想を書きたいと思う。まずは幼少期の教育が株式以上のリターンを生み出すと主張する「幼児教育の経済学」からだ。

 

「幼児教育の経済学」の著者であるヘックマン教授

本書は教育経済学者であるヘックマン教授(ジェームズ・J・ヘックマン)の著書を翻訳したものだ。ヘックマン教授は2000年にノーベル経済学賞を受賞した人物で、もう一つの「学力の経済学」の中でも頻繁に引用されている人物だ。

 

因果関係の分析が難しい教育において、40年間にわたる追跡調査を研究しており、就学前の幼少期教育の重要性を経済的な観点から明らかにした。誕生から小学校入学までの5~6年だ。

 

幼少期の教育が株式以上のリターンを生み出す

教育経済学の研究によって、「教育の収益率」という経済的な試算をもとに、幼少期の教育が株式以上のリターンを生み出すことがわかってきている。

 

本書で取り上げられている「ペリー就学前プロジェクト」という家庭への教育介入プログラムでは、なんと15〜17%という驚異的なリターンを叩き出している。

 

※ 教育の収益率とは、1年間追加で教育を受けたことによって、その子どもの将来の収入がどれくらい高くなるかを数字で表したもの。

 

子どもをお金として見ていいのか

「教育の収益率」などと聞くと、子どもを金銭や投資と捉えることに抵抗を感じる人もいるだろう。教育熱心に塾に通わせることだけが子どもの幸せにはならない。だが、話はそう単純ではない。

 

幼少期の教育によって、テストの結果や成績表の優良可が上がったとしても、その効果は長続きしないことがわかっている。それよりも、やる気・忍耐力・協調性などの非認知スキルと呼ばれるものを身につけることができれば、その効果はずっと続く。

 

幼少期に非認知スキルを身につけることができれば、子どもはそのスキルによって学力やIQなどの認知スキルを自ら生み出すことができる。つまり、スキルがスキルを生み出すというわけだ。

 

スキルがスキルを生む好循環による複利効果で、教育の投資リターンは増大する。

 

スキルがスキルを生み、不幸が不幸を生む

子どもが身につけた自らのスキルによって、新たなスキルを獲得していくことができるということ。それは、特定の価値観を押しつけるものではなく、なりたい自分になるための力といえる。

 

やる気・忍耐力・協調性などの非認知スキルは、家庭環境に大きな影響を受ける。勉強や成績よりも、生活や交流だ。

 

これは、逆の視点から見ると、不幸が不幸を生み出すともいえる。

 

アルコール依存症の親を持つ子どもは、自らもアルコール依存症になる確率が高い。虐待された子どもは、自らも子どもを虐待してしまう確率が高い。

 

家庭の問題?社会全体の問題?

本書を読んで自分の子どもへの教育方法を考えることもできる。だが、スキルがスキルを生み出すということは、放っておくと格差が拡大していくことを意味している。

 

日本は過度な平等主義が蔓延しており、頑張れば誰でも貧困から抜け出せるという話を美談にしてしまう。

 

親の所得と子どもの学力の相関関係が存在することは、誰もが言わないまでも心では気づいている。だが、平等の名のもと、それを直視しようとはしない。

 

人によって人生のスタートラインは異なる。スタートラインに恵まれない子どもたちに、自助努力ばかりを強要しない社会が必要ではないだろうか。

 

幼少期の子ども家庭に介入する方法

研究としては、カウンセラーによる頻繁な家庭訪問や、児童センターでの集まり、親同士のグループミーティングなどが実験されている。

 

今後、より具体的で効果的な方法を模索していくことになるだろう。

 

社会政策に望まれるもの

親の所得と子どもの学力には相関関係が存在するが、親の所得を上げれば子どもの学力が上がるという因果関係はない。つまり、児童手当や子ども手当の効果は低いということがわかっている。

 

親世代における所得の再分配ではなく、子どもに対して教育という投資を事前分配する必要がある。昔から日本でも言われている通り、子どもは社会の宝だということだ。

 

過去の日本では、親だけでなく祖父母を加えた二世帯、さらには地域社会で子どもたちを見守っていた。核家族の進展とともに、そういった文化は薄れてきている。

 

だが、その時代に逆戻りしたほうがいいとは思わない。都会への人口集中や犯罪の増加など、仕方ない面もあったことだろう。

 

ただ、社会全体で子どもを育てていくために、新しい合理的な仕組みが必要となっているのではないだろうか。

 

保育園の待機児童問題の先にあるもの

日本で保育園の待機児童問題が語られる際、必ず親が仕事復帰すること、つまり親の労働力への期待が見え隠れする。

 

だがそれは、コスト削減ばかりが求められる会社のようだ。効率化によって、余剰リソースを生み出し、直近のリターンを追い求める。

 

もちろん今を乗り越える方策も必要だ。だが、目先の利益ばかりを見ていては、いずれ社会全体が疲弊することになりかねない。

 

目先の効率化とともに、将来への大きな投資配分を行うポートフォリオが求められる。

 

いつまでも保育園の待機児童問題で揺れている日本では、世界に取り残されるばかりだ。

 

もう大人の僕らは救われないのか?

幼少期の教育も大事だが、成人が立ち直るチャンスも必要だ。社会政策にも必ず漏れが出てくる。

 

ただ、幼少期の教育への投資配分を大きくした方が、全体として救われる人々が増えるということだ。

 

そして、子どもへの教育によって、親の人生さえ改善することがわかってきている。

 

僕らの子ども世代が栄えてくれたら、僕らの年金や医療費負担などを支えてくれるのだから、デメリットもない。

 

最後にこの言葉を引用しておこう。

本当の問題は人生のもっと早いところにある。幼いころの経験だ。そして、現状を改善する対策はそこにある。

 

おわりに

本書は子育て論というよりは、社会政策を訴える側面が強い。その点は想定外だったが、大変考えさせられる内容だった。

 

今はまだ子どもを持つ親のさらに親の世代に、子育てをサポートする金銭的な余裕が残っている。今後、子育てのサポートを得られる身内が減っていけば、社会的な制度の重要性は増すばかりだ。

 

そして、「好きで産んだんだろ」という親の責任論だけでは、責任のない子どもたちが不幸になり、社会全体が疲弊し、子どもを持たない人にも悪影響を与えることになる。

 

この考えは、僕が親になったからだろうか。だが、本書を読んで、自分の子ども以外の子どもたちへの見方が変わったことは確かだ。

 

 

次回は、統計データによって家庭の子育て論争に終止符をうつ「学力の経済学」について感想を書きたい。

 

幼児教育の経済学

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