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人生終わったと思ったら、そこからがスタートだった。

会社に行けなくなったら休んでもいい!森田療法で学ぶ「臥褥(がじょく)」の期間

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あまり書きたくなかったが、書かないと誤解がありそうなので、自分が地獄を味わったときの経験を少し書きたい。

 

ただし、忘れたい記憶だからか、その数年の記憶はぽっかり抜け落ちているところがある。正確に言うと何があったかの出来事についてはある程度思い出せる。しかし、そのとき自分が何を思い、どんな表情をしていたのかはよく思い出せない。そのため、なんだか感情の伝わらない文章に感じるかもしれない。

 

終わりのない夢

記憶と実感がすっぽりと抜け落ちた自分にとっての空白の期間は、「終わりのない夢」を見ているようだった。実際に不眠症でほとんど眠れない毎日を送っていたので、一日の切れ目もわからず、まさに終わりがないように感じていた。

 

会社に行きたくないを通り越して、会社に行けなくなっていた。身体が疲れて起き上がるのが億劫になったときも、ある程度は意志力を働かせて立ち上がることができた。だが、睡眠の問題は意志力を弱らせ、いくら念じても身体が動かなくなった。

 

診断結果とプライド

そこから僕はメンタルクリニックに行き、躁うつ病双極性障害)の診断を受け、数年の投薬を経験する。だが、ほとんど会社を休まずに働きながら投薬を続けてしまった。プライドが邪魔してしまったのと、親とも交流がない状態で頼る先がなかった

 

周りも休まないで済むならそうしろと言うし、医師も強くは言わなかった。そして、自分にも正しい知識もなく、頼る先もなく、そう決断するしかなかった。

 

臥褥(がじょく)の期間

今にして思えば、その時は何も考えずに期限も気にせず床に伏せるべきだったのだろう。当時は知らなかった森田療法で言うところの「臥褥(がじょく)」の期間だ。森田療法では、ただただ静かに寝ていることから治療が始まる。寝て過ごしても思い描いていたような悪夢が訪れないことを実感して安心を得る期間だ。

 

不安に押しつぶされそうな中でもその不安を「あるがまま」に受け入れ、突発的な行動を飲み込み、時間が解決してくれるのを待ち、「なんとかなる」ことを身をもって理解していく。何日も床に臥せっていると、次第に「生の欲求」が芽生え、拡大し、自分の意志で立ち上がるタイミングが訪れる。その後は数ヶ月の過程を経て日常を回復していく。

 

意志と意識が混濁した空白期間

前述のとおり、僕はほとんど会社を休まず、誰にも頼らず、自分一人でなんとかしようとして回復が遅れてしまった。働きながらの投薬のため、「このままなんとかなりそうだ」と気づくのに数年を要してしまった。

 

ある日急にふっとそのことに気づいてから、ようやく自分がどんな病気なのかを知ろうと本を読み漁り、ネットで調べまくり、多くの情報と人に助けられて現在に至っている

 

無知への悔しさ

さまざまな知識を得るたびに自分を襲うのは、「なぜもっと早くに知れなかったのか」という無知への強烈な悔しさだった。そして、同じ思いをする人を少しでも減らしたいと思った。だから、その後ブログを始めたのかもしれない。

 

医師や薬には大変お世話になったが、それ以上に自分が回復する上で役立ったのは同じように苦しんだ方の「実体験に基づく情報・アドバイスだった。あのまま投薬を続けていては回復に時間がかかるばかりだったと思う。医師には止められたが、自分から減薬を申し出て、自分で調べたカウンセラーの力を借りながら、漢方などの力を借りながら、生活習慣の改善を行いながら、本当に多くのことを取り入れて徐々に回復していった。

 

おわりに

最後はなぜだかブログを書く理由みたいな記事になってしまったが、どうやらそういうことらしい。今は自分が自分であることをきちんと認識し、日々をよりよいものとできるようにしたいと努力している。

 

 

「会社に行けなくなったら死んでしまうだろうか?」

実際には社会福祉などでなんとかなるのかもしれないが、追いつめられるとそう思い込んでしまうことがある。そんなときはただ時間が経つのを待ち、何も起こらないことを体験してみるしかないかもしれない。ただし、やり方によってその長さは変わる。

 

森田療法 (講談社現代新書)

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