みんな視覚依存症になっている
スポンサーリンク
ケガをしてたら優しくする。マスクをしてたら優しくする。
でも、 落ち込んでそうに見えたら「元気出せよ」という。
元気を出してもケガは治らない。元気を出しても風邪は治らない。
でも、心の問題は「元気出せよ」ですませてしまう。
「頑張れ」と言われても
周りからは分かりにくくても、本人はすでに頑張っている。
「頑張れ」と言われても、これ以上どう頑張ればいいかわからない。
それを見て、「甘えてる」という人がいる。
別に悪気がある人ばかりではない。自分もそうなる可能性に想像が及ばないだけだ。
視覚はわかりやすい
視覚は想像しなくていい。見たままを受け入れればいいので楽だ。
でも、身体の問題は見えるが、心の問題は見えない。
視覚は共通認識が得やすい。みんな同じ様子を見ているのだから。
だから、自分が経験したことがなくても、そのつらさを多少理解できる。
視線から自分を守る
メンタルを病んだ人は服装が乱れてくる。一年中マスクをしたりする。
そうやって、周りの視線から自分を守ろうとしているのかもしれない。
サボりではないかと疑う人もいるだろう。
だが、周りから見ると簡単そうなことでも疲れ切ってしまう。そういう病気なのだ。
みんな視覚依存症になっている
視覚はわかりやすく、共通認識が得やすい。
視覚は写真などで記録に残しやすく、人に伝えやすい。
でも、想像することから逃げちゃダメだと思う。
人の気持ちは理解できなくても、決めつけずに想像して、寄り添うことはできる。
批判的な視線が減って、人の目を気にせず休める世の中になるといいな。
ケガをしたらバンソーコを貼るように、風邪を引いたら会社を休むように、なぜ心は安静にして自然治癒という考え方が根付かないんだろう。焦らず休め。
— 新宮 慶@迷走中の瞑想ブロガー (@K_SelfQuest) 2016年8月5日